気まぐれな神様

11月5日、東京国際フォーラムで催された、ボサノバの法王、ボサノバの神様と呼ばれる、
ジョアン・ジルベルトのコンサートに行ってきた。

ウワサ通りの遅刻魔!?であるジョアンは、予定どおり、開演1時間後にステージに現れた。
面白かったのは、開演時間の17時を迎えたときの場内アナウンス。
「開演の時間となりましたが、アーティストの到着が遅れております…」
会場では、「やっぱり!」な笑い声。
その30分後にも同じアナウンスが流れる。
そして、開演時間の40分が過ぎたとき、ふたたび、うぐいす嬢
「ご来場のみなさま、たったいま、アーティストがホテルを出発したと連絡が入りました!!」
とうれしそうな声。これには、会場中が拍手喝さい。
会場の雰囲気が、なんとなく和む。
その後、ジョアンはすぐに到着して、びっくりするぐらいすぐにステージへ。

まるっこいおじいちゃんが、両手でギターを抱えて、「やぁやぁ」という感じで登場。
そして、おもむろに歌いだし、その後、休憩もおしゃべりもなく、ずーーーーっと歌ってくれた。

場内は、ジョアンの希望で空調をカット。
しんと静まった場内に、ささやくような歌声とギターの音、
ときどき誰かの我慢したようなセキ払いの音。
たったそれだけの、なんとも美しく、素晴らしいコンサートでした。

ジョアンは、気まぐれなボサノバの神様。
ときどき、ふいとコンサートをやめたり、途中で居眠りするなど、いろいろと伝説はあるらしい。
けれども、私は、バイーアのおじいちゃんの家を訪ねたら、一曲歌おうかと歌ってくれているような、
そんなとても近しいものを感じた。
その歌を聴いていると、庭へ、窓辺へ、海へ、
ブラジルのいろいろなところを案内してくれているようにさえ思えた。
彼が遅刻してきたこともあって、会場もなんだか和やか。
確信犯だとすれば、すごいじいさん。
でも、やっぱりジョアンは、カエターノっぽくいうと、“そこらの神様”!
崇め奉る人ではなく、今を生きる私たちのミュージシャンなのだ。
彼がいなくなってしまったら、音楽の世界は寂しくなるな、と思わせる夜だった。