suneon2005-06-19

友人から「イラクの中心でバカとさけぶ」という、橋田信介さんの本を
借りて読んだ。橋田さんは、先の(今も続いている)イラク戦争
亡くなった戦場カメラマン、というのは余りにも有名だ。

いやー、面白かった。この表現は間違っているのかもしれないけど、
今はそれしか思いつかない。面白かった。
ジャーナリストがどうやって戦争している国に入るのか。
彼らは何を求めているのか。
いろんなことを軽快な口調で分かりやすく教えてくれた。

そして、橋田さんだって、死にたくないと思っていたんだと知った。
危険が迫ると、彼はいつだって「まさか、今じゃないだろう?」と思うのだ。

(引用)
死ぬと思った次の瞬間、まだ自分は生きられると、その死を否定する。
自分という人間は、どうしてこんなにずうずうしいのだろう。
あるいは、これは人間の本能というべきものだろうか。

本の中では、本当に生きるか死ぬかの瀬戸際なことがたびたびあった。戦場なのだから。
そして、ずーっとカケヒキが続く。判断を誤れば死ぬ。運が悪くても死ぬ。
お金、手続き、裏切り、騙しあい、友情、信じること
いろんなことが巻き起こる。
状況は平和ボケしている私の暮らしと比べれば、そりゃ異常かもしれない。
でも、橋田さんの過ごした状況はある意味、旅に似ているし、
ある意味で我々の日常に似ていると思った。
私たちの暮らしも俯瞰してみれば、同じことをしているのだ。
短時間に経験するか、長い時間をかけて経験するかの違いだけで。
それは、橋田さんの経験したことが平凡だという意味ではない。
彼の体験は平凡とか非凡とかいうレベルじゃない。
そうではなくて、私たちの生活だって平々凡々に流れているようで、
本当はそうではないのでは?と気づかされた、ということだ。

橋田さんは本文中、バグダッドで亡くなった犠牲者と
日本における一日の自殺者数を比較して、
日本にも見えない戦争があるとおっしゃった。

私は2年前、ルバング島からの帰還兵・小野田寛郎さんの公演を聞いたときのことを
思い出した。

地震、事故、テロ、戦争。平和ボケしている場合じゃありません。
日本にいる、東京にいるということ自体、死と隣りあわせなのだということを
忘れないでください。

というような内容の警告を小野田さんは公演の最後にお話しされた。
二人の言っていることは、内容や状況は違えど、
核の部分できっと同じだ。
生きることをナメたらあかん、そういうことだと思った。