ROCK

今朝、好きだったミュージシャンが覚醒剤使用で逮捕されたと知った。
ショックだった。
多くのファンのみなさんは、サイトやブログで、「復帰を待つ!」とか、
「彼がどうであれ、彼の作品は素晴らしいことに変わりない」というふうに
批判や擁護というのではなく、とにかく温かく見守る姿勢を表明している。
冷静な反応で、立派だと思った。
でも、私はなぜか冷静な反応ができなかった。
私は彼がファンを裏切ったと思ったし、今まで彼が歌ってきたことは
全部でっちあげのキレイゴトだったのかしら?と思ってしまった。
彼は昔、インタビューで「自分はポップミュージックに救われてきた」と語っていた。
だから、「年齢を重ねるうちに、もうポップミュージックは救ってくれなくなったのかい?」と聞いてみたくなった。
覚醒剤は身を滅ぼす。クリエイティブじゃないよ。大麻所持の間違いぢゃないのか?と
何度もニュースを見直したけど、覚醒剤だった。

さて、そんなこんなで思い出したことがある。
3年前くらいに取材でお会いした、茶道の先生。
一流の流派で数十年、学び、教え、師範になった人。
でも先生はずーっと茶道を教えながら、疑問に思っていたんだって。
それは先生が学生の頃、師匠に言われたことば。
「茶人は、どんな場所でもお茶を創れないといけない。茶人というのは、大きな岩を見て感動したら、そこでお茶をしたくなる。綺麗な川の流れを見たら、そこでお茶をしたくなる。そういうもんなの。お茶は創るもの。そのために今、たくさんのお手前を習うのよ
(正確ではないけど、こんなようなことをおっしゃっていた。)
先生は長年、形式を重んじる茶道に身を捧げてきたけど、
そればかりに捉われる茶道では師匠がいったような「お茶を創る」ということが
できないのではないかと思っていたそう。
結局、先生は流派をぬけて、自分で自分の茶道を立ち上げることになったんだって。
それはとっても前途多難な決断だっただろう。しかも生死に関わる大病まで患ってしまったから、さぁ大変。でも先生は、病気があったから、茶道のお手前の真髄に気づけたとおっしゃった。茶道は正座して苦しくてしんどいものだと思われているけど、本来はそうではないのだとか。お手前の動きひとつひとつが楽なように考え、作られていることに気づいたのだそう。だから、楽に生きよう、楽にお茶しようと思えたんだって。
お話を伺う途中で先生は「正座なんかしてたら足しびれるでぇ。あぐらが一番いいよ。」と正座していた私にあぐらをすすめてくれたなぁ。

で、何が言いたかったかというと、この人こそ、ROCKな人だと思ったのでした。
ROCKは音楽のジャンルじゃない。見た目や音の激しさでもない。精神だと思う。
だからミュージシャンだけがROCKなわけじゃない。
本当のROCKとは生き方なのだと思う。
だから、逮捕されてしまったミュージシャンには、表面的なことでなく、本当のROCKを掴んで欲しいものだと思ったのでした。誰もが弱いからROCKできるんだと思うから。
なんか暗くて説教臭い話になってしもたけど、今日はそんな感じ。