今日は何の日

親のありがたみは、20代後半、あるいは30代とか、
ある程度、年をとらないと、実感として分からないものなんでしょうね。
だから若者たちは、もうあと数年、待ってみる、
俯瞰してみるということが大事なんじゃないかと思ったりします。
そしたら、見えていなかったことが、見えてきたりするんですよね。
不思議です。


今日は、阪神淡路大震災の日です。
あのときのことは、やっぱり鮮明。
いろいろなことを思い出す日です。

人には人の

suneon2008-01-11

あけましたね。おめでとうございます。
このお正月は、いろんな人に会う機会があって、
少し慌しかったけれど、楽しかったです。

2年ぶりくらいに会った親友は、3児の母となり、
一戸建てを購入しておりました☆

建売住宅にまったく興味のない私ですが、
にぎやかなお子たちと新しい家に暮らす友人をみて、
「そんな幸せもあるんだなぁ」と
なんだか、しみじみしたりしました。
ちなみに、友人は15年後に熟年離婚する決意をかためていて
深刻ながら、それさえ微笑ましく、ふたたび
「そんな幸せもあるんだなぁ」と思ったわけです。
人には人の幸せがあるんです。


だから、デカボーにはデカボーの幸せがあるんでしょうね。
デカボーとは、丹波篠山に行ったときに見かけた、
大正ロマン館なる建物の前に鎮座している像です。
デカボー、ゆるいな。
ゆるくて楽しい1年になりそうです。

理不尽

先日、『鬼が来た』という映画を観ました。
2000年にカンヌ国際映画祭グランプリをとった中国の映画です。

舞台は、日本占領下の中国。
途中までは、かなり笑えるシーンが多くて、
「ユーモラスだなぁ」なんて調子こいておりました。
ところが、最後は、もう理不尽きわまりない。
唖然としてしまうのです。
この晴れたかと思ったら急に曇って、どしゃ降りの雨が降り出して
肺炎になって死んだみたいな理不尽さ、
これが戦争という現実なのだと思いました。
理屈や理論など通用しません。全部、たわごとになってしまう。
状況が一転すれば、すべて変わります。
昨日の友は、今日の敵。
昨日の善人は、今日の悪人です。

この映画に好感をもてたのは、とにかく泣かせないところ。
お涙ちょうだいなんてもってのほか。
逆にユーモラスでちょっと笑ってしまうような演出に
監督の意図とリアリティを感じました。
そして、とても恐ろしくなってしまいました。

間違っていることを間違っていると言え、
正しい方向にもっていこうとできる社会は
素晴らしいです。
でも、今がそうかどうかはわかりません。
とても脆く、危うい世の中なのです。
人の価値観は、あまりにも簡単に変わってしまいますからね。

今年の秋

suneon2007-12-11

今年は、秋が長かったような気がしますね。
12月でもまだまだ紅葉、きれいです。
自然の中にある色の組み合わせは、
なぜ、あんなに美しいのでしょうか。
なぜ、美しいと感じるのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、年の瀬がせまります。
忙しくて目がまわりますワ。

上野動物園

suneon2007-11-30

先日、大阪からやってきた友人とともに、上野動物園へ行った。
動物園は、小学校以来だ。
入場料600円という表示に
「やすっ!!」と叫んだら、友人from大阪に、
「高い方やで!」とつっこまれた。

大人になってから行く動物園は、なんと素晴らしいのだ。
体の動き、形、皮膚の質感、皺、くせ、足の裏、おしり、ニオイ、
ぜんぶがもうめちゃめちゃ楽しい。

中でも私が最も期待を寄せていたのが、コビトカバであった。
以前、サーカスで見た小さいカバは、耳をぶるぶるまわし、しっぽをぐるぐるまわし
めちゃくちゃかわいかったのである。
ところが、上野動物園コビトカバは、思いのほか、大きくて、
風呂あがり(プールあがり)だったからか、
皮膚が黒光りして、ちょっとヌメヌメなかんじで、こわかった。
しかしながら、目前で彼(彼女?)は、例の耳ぶるぶるを見せてくれ、
一気に好感度が上がったのである。

続いて、隣の館にゆくと、ふつうのカバがいた。
その大きさには、本当にドギモを抜かれた。
プールから背中を少し出していたのだが、あれはちょっとした島のようだった。
コビトカバも、あの普通のカバに比べれば、やはりミニミニだ。

そのほか、カピパラ親子やサトウチョウ、パンダなど、
夢中にさせてくれる動物がいっぱいいた。

閉園にせかされ、こうもりと両生類館を見逃したことが悔やまれる…。

それが答えだ!

suneon2007-11-11

そうそう、それ、それなんです。
ずっと言いたかったこと、思っていたこと。

ブッダが残したという言葉を知って、
もう、首をぶんぶん上下にふりました。
「サイの角の如くただ一人歩め」

わたしがずーっと言いたくて、うまく伝えられなかったことが
どんぴしゃの言葉で言い当てられていたのです。

生まれるときも死ぬ時も人は一人。
甘えすぎず、誰のせいにもせず、ただひたすらに独りで「生」と向き合う。
それは全然、寂しいことでも、なんでもないのです。
それが、なかなかうまく人に伝えられなくてヤキモキしておりました。

あ〜、なんかすっとした。

美しい人

美しい人と仕事をした。
その人は、容姿だけでなく、心も本当に美しく、強く、やさしい人だった。
その周りにいる取り巻きのスタッフも、ホントに親切で、デキる人たちだった。

みんなが一流のプロ。
それぞれ有名な方たちだけど、打ち解けやすく、聡明な人ばかり。
長丁場の仕事が、とてもスムーズに、和やかに終わった。

いろんな意味で美しい人は、いろんな意味で美しい人をまわりに集めていた。
それってやっぱりすごいことだ。
あれだけの輝かしいスタッフに囲まれていたことが、
あの美しい人の本当の実力のあらわれだ。

鋭く尖って、ヒリヒリするようなプロの世界もあれば、
あんなに穏やかな陽だまりみたいな大きなプロの世界があるのだ。
きっと、ヒリヒリの世界を越えた実力者だけが、あの陽だまりのような
プロフェッショナルになれるのだな。
心洗われる二日間だった。